歴史や文化の違いが、新鮮な発想を与えてくれる!
皆様からのお問合わせが研修や取材の始まりです。
経験豊富なスタッフ(オーストラリア在住25年以上)がサポート致します。
皆様のお問い合わせを基に綿密な準備を行い、低予算で滞在期間に合わせた効率的サポートを致します。
スポーツコーチング視察/研修、ジュニアスポーツ視察/研修、スポーツ選手/コーチ発掘、レポート/論文/著作等取材協力、オーストラリアの歴史取材協力、現地(現状)視察/取材協力、研修旅行、記念行事、姉妹都市/姉妹クラブ等の発掘及び交流協力、他(過去に多数経験あり)
お気軽にお問い合わせください。
《視察・研修》
NPO法人日豪スポーツプロジェクトは2011年10月25日に発足したため、
それ以前の活動は前身のEUCALY ENTERPRISE PTY.LTD.が実施した事業実績です。
スポーツ視察/研修
1976年モントリオールオリンピックでオーストラリアは銀メダル1、銅メダル4という結果でしたが、国をあげた取り組みで、2000年シドニーオリンピックでは金メダル7、銀メダル11、銅メダル13という輝かしい成果を記録しました。総人口は2300万人ですから、それは驚くべき躍進と言えます。
オリンピック種目に限らず、オーストラリア政府は、あらゆるスポーツへのサポートを行っています。
結果、多くのスポーツが世界レベルを誇っていますが、スポーツ施設や設備、スポーツ科学、スポーツ医療の分野でも、世界の最先端と言えるでしょう。
コーチングに関する分野では、ジュニアからシニアへの一貫した指導法が確立されています。
スポーツとビジネスを絡めたスポーツマーケティングの分野でも先進国であり、視察や研修に訪れる日本の指導者・ビジネス関係者が後を絶ちません。
実際に見たり聞いたりした体験は誰にも奪われません!
何が異なるのか?を掘り下げて解明することはスポーツの進歩や発展には大変重要な要素です。
日本にも優れたスポーツが多く、日本選手の活躍をオーストラリアのコーチや選手の多くが注目しています。
日本とオーストラリアの違いは、学校体育として行われる指導とクラブとして行われる指導の違いと言っても過言ではないと思われます。特にチームスポーツの分野において、ジュニアからシニアへの移行が非常に重要で、その観点からすると、オーストラリアには非常に優れたシステムが根付いており、学ぶべき要素が溢れています。
スポーツが国民生活の一部に・・・
オーストラリアでビッグと言われるスポーツは、ラグビー、ラグビーリーグ、OZボール、クリケット、テニス、ネットボール(女子)、水泳、ゴルフ、モータースポーツ、競馬・・・
その中でも、ラグビーのブレディスローカップ(オーストラリアVニュージーランド)は、オーストラリアとニュージーランドのスポーツ文化の代表格でしょう。8万枚のチケットが数時間で売り切れてしまうほどの人気です。
スポーツ資源として、最近はこの「ブレディスローカップ」を輸出するほどになりました。2009年には日本でも開催されました。
2000年にオリンピック、1987年と2003年にはラグビーW杯開催、クリケットは毎年ビッグゲームが開催され、テニスやゴルフの全豪オープン、競馬のメルボルンカップ・・・
オーストラリアの国民生活にスポーツは絶対に欠かすことのできないものになっています。
オーストラリアは最高のスポーツ研修先!
綿密且つ完璧に準備した上で、最高のコーディネートを約束致します。
オーストラリアのスポーツを題材にしたレポートや論文、著作等の現地取材もサポート致します。
限られた時間や予算で、どれだけ貴重な情報が得られるかどうかは、経験の豊富さが勝負です。
どのような取材でも精一杯努力して、必ず糸口を見出します。
(過去の研修旅行)
衆議院議員運営委員会豪州外遊(視察)
2001年実施
外遊のプログラムにスポーツ事情視察として「ブレディスローカップ」観戦が加えられました。ファンクションにも参加し、100年以上続く南半球両国のスポーツ文化を視察。
8年後の2009年に日本開催が実願しました。
(過去のスポーツ取材協力)
著作「死に至るノーサイド」蟹谷 勉氏著
1988年から1989年に掛け、時の竹下内閣は、日本中の各市区町村に地域振興のため自由に使える資金(ふるさと創生資金事業)として1億円を交付しました。沖縄県具志川市(現在は周りの市町村が合併、うるま市になっています)は、その交付金を使い、「具志川市文学賞」事業を行いました。
朝日新聞社が音頭を取り、井上ひさし氏、吉村昭氏、大城立裕氏の3名が選者となりました。ノンフィクションがこの文学賞の応募規定でしたが、
「死に至るノーサイド」蟹谷勉著がこの文学賞を獲得しました。
作者の蟹谷勉氏はラグビーを題材にした著作が多く、不惑倶楽部でプレーしながら、執筆活動を続けています。
「ゲインラインまで」(地上文学賞受賞作)もラグビーを題材にした秀作です。
「死に至るノーサイド」は、1930年代にラグビーのオーストラリア代表(ワラビーズ)として活躍した日系人の足跡を辿るストーリーですが、第二次世界大戦時代の日豪関係の時代的変遷を詳しく描いています。主人公は学生時代に早大でプレーし、後先考えずに日本を飛び出してしまった元サラリーマン。
ラグビー好きが嵩じて、妻と幼い息子二人を伴い突然オーストラリアに移住、仕事や生活に翻弄されながら、実在の日系人ワラビーズを知ることになります。この作品を故井上ひさし氏が絶賛しました。
映画「君はノーサイドの笛を聞いたか?」取材協力/撮影協力
「死に至るノーサイド」で明らかになった日系人ワラビーズ「ブロウ・井手」を追い駆けたドキュメンタリー。
1938年ブレディスローカップ第2戦、第3戦にワラビーズのセンターとして出場。更に、1939年にイングランド遠征代表メンバーに選ばれるが、イングランド到着の日に第二次世界大戦勃発。
その後、時代の流れに翻弄されながらオーストラリア軍の兵士として出征。
シンガポールで日本軍の捕虜となり、「戦場に架ける橋」の舞台となった泰緬(タイとビルマを結ぶ)鉄道建設に従事させられる。
父の祖国日本の兵隊に銃を突き付けられながら、彼は数奇な運命を辿ることになる。
戦後の1950年代、オーストラリア、シドニーのラグビーシーズンはハーバーブリッジを挟んで北と南の代表が対戦する試合で開始された。人々はその試合を「ブロウカップ」と呼んだ。
文化的研修/取材協力
スポーツばかりでなく、文化的研修や交流、取材協力のサポート、姉妹都市交流等のサポートも致します。
スポーツ同様、皆様からのお問い合わせがサポート開始の切掛けです。
異国の文化や歴史を知る事が、その後の人生を豊かにするばかりでなく、人間的な大きさを培います。
(過去の研修旅行)
正眼短期大学オーストラリア研修旅行
- 2002年
- シドニー・カウラ・キャンベラ訪問
- カウラ/ 日本人墓地供養・桜の記念植樹
- キャンベラ/ 戦争記念館・国会議事堂視察
- 2004年
- シドニー・ダボ・パークス・カウラ訪問
- ダボ/ 姉妹都市(岐阜県美濃加茂市)交流
先住民アボリジニとの交流 - パークス/アポロ11号月着陸映像電波を受信した巨大なパラボラ・アンテナ(ディッシュ)を訪問。このアンテナにまつわる秘話は、 映画「ディッシュ」に描かれています。
- カウラ/ 日本人墓地供養
日本庭園にてカウラ市民と交流
(茶道、華道、書道他)
本物の教育とは・・・
本物の交流とは・・・
この研修旅行のサポートに、スポーツとは異なる大きな意味を感じました。
短大で学ぶ学生を中心に、教職員、学校関係者の参加も多く、その誰からも探究心や熱意が溢れていました。
太平洋戦争時代に捕虜収容所のあったカウラ市を訪れ、この地で命を落とした日本の兵士達を供養し、「一緒に日本に帰ろう」と心で呼び掛ける声が聞こえて来るようでした。
スポーツ交流はスポーツで交わる事で友情や豊かな心が生まれますが、文化的な交流は、歴史の知識や相互の理解が重要な要素であると思いました。
正眼短期大学の研修旅行は、大学の教育方針がそのまま反映され、姉妹都市ダボ市との交流会もカウラ市民を招待した交流会もオーストラリアの先住民アボリジニとの交流も、心のこもった素晴らしい相互理解の機会となりました。
国境や人種を超えた本物の友好は、このような草の根の交流から生まれます。
交流の形は様々で、例えばスポーツ交流でも、歴史や文化的な交流をプラスすることは可能です。歴史を知った上でカウラの地を訪れ、少年同士のラグビーの試合をアレンジしたことがありました。
(過去の取材協力)
著作「カウラの風」土屋康夫氏著
シドニーから内陸に約300km。
第二次世界大戦中、カウラという田舎町に、カウラ 第12戦争捕虜収容所が
存在しました。
その収容所には1104名の日本人捕虜が収容されていました。
ジュネーブ条約に基づいた豪州政府の手厚い保護にも関わらず、1944年8月5日の午前2時、日本人捕虜が全員で脱走を試みます。
「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓を背に、名誉の死を遂げるための脱走でしたが、231名の日本兵士が尊い命を失いました。
戦後、日本人墓地、日本庭園、桜並木などが整備され平和の活動が続けられています。
日本では教科書にも載らない歴史の1ページですがその史実を丁寧に紐解いた名著です。
これらの取材協力の他に、カウラ市との「平和の活動」をサポートしています。
(過去の研修旅行)
こんなサポートもしています!
ある設計事務所の研修旅行
イタリアを代表する建築家・建築士のレンゾ・ピアノ設計のオーロラ・プレイスを視察。シドニーには世界遺産のオペラハウスをはじめ、魅力ある建造物がたくさんあります。
2007年に実施された研修旅行では、クィーンビクトリア・ビルディングなどの歴史的建造物の外壁や内装を視察。オーストラリアでは歴史的建造物の外壁を残すことが法律で定められています。街の景観に古い建造物の重要性や紀伊国屋書店の内装や陳列状況なども視察しました。
社員旅行を兼ねた研修旅行で、精力的に視察中心の日程を考えましたが・・・
ロックス(シドニーで最も古い街並みが残る地区)の古いピアノバーで古き良き時代を感じたり、日本的デコレーションを施した日本食レストランの内装や洗練された食事に感動したり、研修と旅の気分をしっかり満喫していただきました。
スポーツを愛する経営者との縁で、この研修旅行が実現しましたが・・・
スポーツや遊び心のような感覚が、これからの設計の仕事には重要な要素のようです。
(過去の取材協力)
新聞の取材・投稿
「五輪の街からシドニーは今」連載
2000年シドニーオリンピックの年に、新聞社の依頼で3ヶ月間記事を連載。生活に根差した側面から、オリンピック直前のシドニーの現状をレポートしました。
人が集まることよりも環境を心配するビーチバレー会場(ボンダイビーチ)周辺の住民の反応や、老人や障がい者のボランティア参加の実態など、興味深いテーマに触れる事ができました。
最近はどのような事もインターネットで簡単に調べる事ができますが、実際に見て聞いて得た情報は、後で読み直しても、その時の感動が蘇って来ます。