プロジェクト

《過去のプロジェクト》

NPO法人日豪スポーツプロジェクトは2011年10月25日に発足ししたため

それ以前の活動は前身のEUCALY ENTERPRISE PTY.LTD.が実施した事業実績です。

ユーカリ堂/プロジェクト

1990年代にシドニーで生活した留学生やワーキングホリデーの皆様にとって、きっと懐かしい思い出の場所ではありませんか?カフェのつもりで開店しましたが、牛丼やカレー、おろしハンバーグ、納豆定食なんていうメニューも作ってしまい、大晦日には年越しそば、元旦には雑煮を$1で出血サービス!夢を持つ日本の若者達は同志でした。あの頃、ボンダイには留学生やワーキングホリデーの若者達がたくさんいて、活気が満ち溢れていました。

1993年、ボンダイビーチの玄関口ボンダイジャンクションにカフェと日本食のコンビニを併設した「ユーカリ堂」をオープン!

留学生やワーキングホリデーの若者達の駆け込み寺的存在となる。

このプロジェクトがオーストラリアでの出発点、そして全ての原点。

コンタクトスーツ普及プロジェクト
1995年日本上陸!

1995年、革命的なラグビーの練習用具「コンタクトスーツ(NZ製)」を日本に最初に導入。TV局から購入希望の連絡が届き、一瞬舞い上がりましたが、バラエティー番組でお笑い芸人が、日本初登場の“珍グッズ”を身にまとい暴れまくるという企画を聞いてガックリ!日本中を巡回し、NZや豪州流のトレーニング法を指導しながら普及活動を続けました。北は北海道から南は九州まで日本中を訪問し、ラグビーの発展に努力されている多くのコーチにお会いしました。  5年間で4,000着を販売。日本中のラグビーチームが使うグッズに成長しました。その後、多くの業者が製造販売に参入。このプロジェクトからコーチングの一貫性の重要性を知り、活動がコーチングにシフトして行きました。

キャンピージ
ラグビー普及プロジェクト

ラグビー界のレジェンド「デビッド・キャンピージ」を伴い訪日。ラグビー普及プロジェクトを開催。

少年少女向けの普及プロジェクトでしたが、キャンピージと聞き、大人の参加が多く、普及に大きく貢献しました。

デビッド・キャンピージ:テストマッチ出場101回 / テストトライ数64 / 1991年ラグビーW杯MVP

開催:1999年(京都、東京、宇都宮) / 2000年(福岡、山口) / 2003年(東京) / 2004年(横浜)

アスリートセンサー/開発プロジェクト(失敗)

1999年ラグビーW杯後にシドニーで開催されたラグビーアドバンストセミナーに参加、次期ワラビーズ監督が決定していたエディ・ジョーンズ氏より運動量のレクチャーを受ける。

運動量を計測できるセンサー開発を発想>日本の技術士に相談>アスリートセンサー開発プロジェクト発足。

開発は順調に進み、2006年ARU(豪州ラグビー協会)にて、ARUコーチングスタッフとワラビーズ・コーチングスタッフを前にプレゼンテーションの機会を得る。プレゼンテーションは大成功に終り、ARUから製品完成後の契約の確約を貰う。日経BPものづくりマガジンに期待の新製品として紹介される。

その後、資金不足にため研究開発部門が製品化を断念。失敗に終わる。

出典:日経ものづくり,2007年12月号 ,pp.19,21 (記事は執筆時の情報に基づいており,現在では異なる場合があります)

写真上に写っている豆のような形をした物体。写真のサイズでほぼ実寸大と小さいながら,どんなに体格の大きなラガーマンをも「ギャフン」と言わしめる代物なのだが,さて,何だかお分かりだろうか。実はこれ,ラグビー専用に開発されたセンサで,その名もズバリ「Rugby Sensor」。試合中に15人の選手が装着すれば,各選手の一挙手一投足が0.01秒ごとに計測され,Rugby Sensor内のフラッシュメモリーに記録される。あとは,記録されたデータを赤外線通信などで引き出し,専用パソコンで分析するだけ。ラガーマンたちの試合中の働きぶりが“丸裸”になる。このセンサを開発したのは,アスリートセンサー(本社東京都府中市)。設立メンバーの1人は,東芝と東芝エレベータで1967~2002年まで,X線機器や火力・原子力発電施設,半導体にまつわるセンサなどの開発・設計に携わった。さて,ここでもう一問。試合中のラガーマンの働きを計測するためにRugby Sensorが積むセンサは,具体的には何? 正解は,3軸加速度センサ1個と,1軸ジャイロセンサ3個,2軸の方位センサ1個。この結論は,ラグビーとセンサの両方をよく知るアスリートセンサーだからこそ導き出された解だとも言える。

開発のきっかけは2003年,オーストラリアで開催された第5回ラグビーW杯。

オーストラリア代表チーム「Wallabies」は,イングランド代表に決勝戦で敗退。

協会はより走れる選手を個々に分析,それを基に戦略・戦術の刷新が図られた。当時の手段としては,試合中に撮影した映像を解析する方法。しかし,それを全選手でやろうとするとカメラが15台も必要になり「300万~400万円のコストが掛かる」(同社)。そこで,同チームと交友のあった同社の関係者から開発話が持ち込まれた。求められていたのは,走行距離の測定。しかし,「タックル時の衝撃度を測るのも重要なポイント」(同社)と判断し,加速度センサで加速度と衝撃度を,方位センサでその瞬間の移動方向を測定する方法を選んだ。2004年10月,MEMS(Micro Electro Mechanical Systems)の3軸加速度センサを搭載した初号機が完成。しかし,何度測定しても正しいデータが得られない。原因は,人の動作がピッチング(縦揺れ)したりローリング(横揺れ)したりすることにあった。そこで,それらのブレを補正するジャイロも搭載。市場には2軸や3軸の物もあったが,コスト面で優位な1軸ジャイロを3軸分3個採用した。そうして出来たのが左上写真中央の3号機。難点は,五つのセンサの電力をまかなえるリチウムイオン2次電池で,小型の物がなかったこと。筒形や箱形の電池を外付けすることも試したが,携帯性が悪く不評。結局,韓国で小型のボタン電池を見付けたことで,この問題は解消。最終形の5号機は,2007年8月に完成。2008年2月から海外で試験的に使われる予定だ。同社によると,同様のセンサが他社でも開発されているが,加速度センサを搭載せずGPS(Global Positioning System)で測定しているため,動きは測れても衝撃度は測れないという。「この差が市場獲得の段階で響いてくるだろう」(同社)。ただし,課題もある。現状では,データ解析には試合の映像と連動させ,「試合開始1分10秒後」といった切り出したい瞬間を選び,データと照合させる必要がある。今後は「初心者でもすぐに使えるソフトの使い勝手を目指す」(同社)。それが実現すれば,ほかの競技やリハビリ中の患者の動作測定など,異分野に応用する可能性も広がる。

剣道プロジェクト 塚本六美

OZ剣士に上段を伝えようプロジェクト

塚本六美先生の言葉がプロジェクト起ち上げの切掛け。

その言葉の内容は、剣道人口の減少、上段の指導者不足、日本の上段の流れについての不安・・・

「オーストラリアの剣士に上段を教えることで、原点を見つめ直してみたい」「それならプロジェクトを起ち上げてみよう!」

2012年2月にメルボルン、シドニーでセミナー開催。

プロジェクト開催後、2012年4月にキャンベラで全豪剣道大会が開催され、VIC州が団体戦を制す。

大将を務めた宮本氏(メルボルン在住・ラトローブ大学剣道部所属)が、2009年度世界選手権ベスト8のカービー・スミス氏(NSW州代表)を小手2本で撃破。

宮本氏から届いたメール/高い身体能力を持つカービーに勝つことが出来たのは、先生の指導のお蔭です。

ご指導頂いたことを自分で咀嚼し、自分の剣道の中に組み込むことで、「こうすれば戦える!」という自信がつきました。

今回の大会では上段をとる選手を多く目にしました。VIC州の選手はそれに十分対抗できました。

それは先生のご指導のお蔭です。皆を代表し、また私自身からも心よりお礼申し上げます。

次回のセミナーが楽しみです。

(注)VIC州/ビクトリア州、NSW州/ニューサウスウェールズ州

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